〜随想:ちょっと真面目な韓国考〜
海外に出る時に添乗員がいたという記憶は2度程しかない。他人と一緒なのはイヤという以外に、我侭な性格のせいもあるのだろう。
飛行機に乗って、QIC(検疫、入国審査、税関)さえ通ってしまえば、現地の人である。われわれが行くような国の観光施設は、英語あるいは日本語で事足りるし、韓国(正確には大韓民国)などは、英語よりも日本語の方が通じる。逆にいえば、言葉の通じない場所には、安全の保証はないと考えることにしている。日本人には、安全をお金で買うという意識が乏しいために毎年不幸な事件が後を絶たない。
今回は、ソウルから直接飛行機で帰国することができなかった。
ソウルからプサンまで、特急で4時間20分、さらにプサンから下関までフェリーで約13時間半、下関で入国審査を済ませ、博多まで電車・新幹線を乗り継ぎ、国内便で沖縄まで戻った。心配だったのは、特急のなかでは日本語が通じないであろうことと、反日感情の強い人と乗り合わせなければいいのに、ということ。幸い戦争中に日本でお世話になったというおじいと一緒だった仲間はコーヒーまでご馳走になったらしい。
また、海外に行って面白い事のひとつは、「常識」という概念である。「常識」とは、common sense、つまり共通の意識・概念なのである。割と引き合いに出される話しであるが、韓国ではカルビは焼きながらハサミで切って食べる。日本で同じ事をしたらおそらく「行儀が悪い」ということになるのだろう。日本の常識をふまえながらも、「合理性」を取り入れられる柔軟性こそが21世紀人に求められていくのではないだろうか。逆に日本では常識でも、諸外国で現地の人達が共通の意識・概念として捉えていないことは、常識ではなく、奇行に過ぎない。そういう意味では、「常識」は時代とともに変化していくのではないだろうか。
で、本題はどうだったか? って一応、旅行費用分の帳尻は合わせてきました。お土産代まではでませんでした。ただ、一緒のテーブルになった日本人男性は、2晩で \13,500,000.- 負けたのだとか。このへんは、どうも私の「常識」の及ぶ範囲ではなさそうである。
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