むらさき980707号
野毛病院院内新聞むらさきNOGE NEWS 〜平成11年・1月11日号
編集者→システム開発部:比嘉 義博

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新年あけましておめでとうございます

21世紀は君達の世紀!!

1900年の最後の年になった。20世紀に人生の2/3を過した人を 20世紀人とすれば、院長はまさに当てはまる。君達の多くは人生
の多半を過す21世紀人である。

幸せな20世紀人が送る楽しい豊かな子供時代の話を送る。 「第2次世界大戦敗戦後50年は、経済優先の社会造りであった。 食べられな
い生活をなんとかしようと皆が意欲を持った。 敗戦直後の日本では勉強するにも教室がない。鉛筆もノートもない。 教科書ですらクラスに
2冊しか配布されなかった。教室は某大学の 体育館を8つに区切り一つの部屋を3クラスが使った。いわゆる「3 部授業」で昼食は家に帰
された。弁当を作れる余裕は各家庭にはな く、食料不足は長く続いた。 給食が始まっても米国からの粉ミルクだけだったが、空腹にはおい
しかった。いくらかきまわしても底にどろどろと沈んでしまう今では考 えられないシロものだった。それでもすべて皆の腹におさまり容器 はすぐ空になった。給食の
ある学校が楽しくて仕方がなかった。 家に帰っても、子沢山で自分のスペースなどなかったが外で遊んで いた。お金がなくともベーゴマ・メンコ・カンケリでお腹の
空いたの も知らずすごした。お小遣いは無く、屑拾いやお手伝いでわずかに手 に入れた。物は皆で利用しあってお互いに補完していた。近所の人 達は物を持ち帰っ
ては週に1回は夕食の宴が開かれた。水トンであり 雑炊であり決して豊かな食卓ではなかったが、皆で楽しく過ごしていた。 初めての防寒服は日本軍の毛布で母が作
ってくれた。普段着には つぎはぎがあり、大きさもまちまちで体にフイットするよりも着られれ ばそれだけで温かかった。今も残している兄弟の写真を見てもまるで
こじきの家族そのものでひどくなつかしい。」

21世紀は「創意と実行力とその効率」の時代である。
20世紀人が体験した敗戦後の”楽しさと豊かさ”がまた始まる。今回は物 が豊かにある環境だからもっとやりやすい。この50年に作られた 横並に合わせることも
なく、他人と同質である必要もない。右肩上り よりも一人一人が持つ多種多様な才能を発揮する環境を作りを目 指せばよい。
20世紀人と「生きてるって何ですか」「働くって何ですか」「楽 しいって何ですか」「豊かって何ですか」等の話をしてみませんか。

あと2年で21世紀人がつくる、21世紀を体験出来ると思うと楽 しくなります。

上田裕一院長



新年の挨拶

平成11年の年頭にあたり、一言ご挨拶を申し上げます。

当院は、昨年9月より療養型病床群の以降を完了し、来る 平成12年4月に施行される介護保険に向けた対応をとっているところです。 施設は完備されました。しか
し、それを支えていくStaffの対応・準備は 万全でしょうか。これまで修得してきた看護、医療観にだけとらわれていては、 対応していけません。新しい概念を
取り入れる必要があります。
これまで医療中心できた「看護」が「介護」という概念を導入した時、ナースは どうとり込んでいけばよいのでしょうか。それが医療の後退になってはいけません。
あくまでも医療は進歩させつつ「介護」と深く関わりつつ患者さんのADLの向上 に関与していく姿が求められているのです。 昨年大きく前進した部門があった一
方、一歩後退した部分もありました。それは、夜間・休日 の急患診療の停止です。ここ本部町に救急診療所はありません。ちょっとした外傷や腹痛・発熱 などの急患
を診てあげられる病院であってこそPrimary careを地元で・・・と 思われる地域住民の方へのサービスを提供できる当院本来の姿であろうと考えます。
医師・ 看護婦(士)・コメディカルの方々の御協力と御理解が得られれば、早く体制を備えて、 地域医療に貢献できる本来の野毛病院の姿にしようと考えています。

最後に、新病棟にはすばらしいDay care Roomが完備されています。ただの 飾りに終わらせないために、また療養型病床群退院→自宅よりDay care
Room への通所といった本来めざすべき医療介護の姿へ一歩前進させるために、皆さんで知恵と 力を結集してDaycare開設へ向けて努力していきましょう。

今年の私の目標は、「対話」と「一歩前進」 皆様と共に明るく進んでいきたいと思います。 今年もよろしくお願いいたします。
山田護 副院長


生まれ年に思う

私が生まれた1963年、卯年は、翌年の東京オリンピ
ックに向けて日本中が高揚していた年だったそうだ。次
の卯年1975年、私が小学校6年生「海、その望まし
い未来」をテーマに海洋博が開催された年だった。あの
頃も沖縄中が熱にうかされていた。その次の卯年、19
87年、大学を卒業し金融関係の会社でバリバリ働いて
いた頃、あの頃もバブル景気の真っ最中目の前を何千万
何億という金が飛び交っていた。日本中が何かにとりつ
かれたように狂っていた。そして今年、1999年小学
校5年生の時に読んで恐ろしさで泣きそうになった「ノ
ストラダムスの大予言」の年。とうとう来てしまったけ
どどうなるのだろう。七の月に空から恐怖の大王が降っ
てくるらしいが、楽しみだ。
そんな大変な世紀末の1999年、私は、双子の男の子
の育児に追われて、あっという間に過ぎていくのだろう
なあ。今年が素晴らしい年でありますよう願いつつ生ま
れ年の元旦に思ったこと。

理学療法科:長堂 俊彦
年男

38年生まれの年男です。
昨年の社会的不況でアウトソーシングの欠点が露呈され
ました。今またインソーシングが注目されているそうで
す。コア・コンピタンスの確立こそがこれからの企業に
重要なのだそうです。
卯年だからといって、オイシイものに跳んでばかりもい
られません。私にとっても今年は充実期で、仕事も趣味
も極めにかかっていますから辛抱しながらコツコツやっ
て、自己のコア・コンピタンスを確立していこうと思い
ます。
検査室:岡村 勝則

今年はうさぎ年

「年女」だから何かが変わるわけではないんだけど、今
年は、いろいろな事にどんどん挑戦して自分自身の中で
何かが変わるような年にしたいです。
ということで、手始めに「シスアド」から挑戦・・・
検査室:島 文野
今年

昨年は、反省する事が多くこれまで以上に気を引き締
めていきたいと思います。
今年は、私にとっても有意義な年にしてききたいと祈
りつつ仕事も確実に完璧に近づけていけるよう努力し
ていきたい年です。


看護部:下地 松江

二十歳

今年は、うさぎ年で私の生まれ年です。
二十歳を過ぎると早いとよく聞いていましたが、本当
に早いものですね。時間だけが過ぎていって、気持ち
は、まだ二十歳のままのような気がします。
今年は、初めておみくじで大吉を引きました。良い年
になるといいですね。

医事課:比嘉 みより
今年で24歳

友達には、小学生の頃から変わらない・成長がないとい
われているので、今年は、大人っぽくなりたいと思いま
す。又、実習も始まるので気合で乗り越えたいと思う。



外来:金城 志津子
うさぎのようにぴょんぴょんと・・・

今世紀最後の支”卯”
ノストラダムスで騒がれている世の中でも私は平成11
年(イイトシ)だと思っています。
成人してから時間の流れがはやく感じます。「うさぎと
かめ」のうさぎのように日々を着実に学び吸収し歩んで
いきたいと思います。
看護部:新城 理絵
福岡ダイエーホークス

頑張れ!!福岡ダイエーホークス。
今年も福岡ダイエーホークスと共に優勝目指して頑張
ります。



システム開発部:比嘉 義博



≪the Coming-of-Age-person≫
成人おめでとう!

院内より8人の成人式を迎える方がいます。おめでとう!

高良隼人君・仲村道世君
仲松優美さん・饒波隆子さん
賀数香織さん・安田江利子さん
上原亜里沙さん・玉城貴子さん

二十歳になった日

二十歳になり、自分の行動に責任をもって物事を最後までやり遂げる事、そして今年の
目標は「冷静沈着」です。
落ち着いて行動してみたいと、いつも考えているんですけど、今年こそはと思っています。





看護部:饒波 隆子



≪NOGE NEW STAFF≫

 名  前:仲宗根ひろみ

 生年月日:S36.10.1

 所  属:看護部

 出 身 校:本部高校  

 嬉しかった事:入って1日目に患者さんに 
        「どこの人ね」と言われ
        「頑張りなさい」と言わ
        れた時。

 皆さんに一言:初心の気持ちで頑張りたいと
                    思いますのでよろしくお
                    願いします。わからない
                    事があった時は、教えて
                    ください。

 名  前:豊里友輝

 生年月日:S55.2.18

 所  属:看護部

 出 身 校:北農高校

 皆さんに一言:友達いない暦19年、誰か友達になってくだ
        さい。








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